2023年 03月 26日
今日のみことば~振り返り、改めて始められることの幸い~
「神の僕モーセによって授けられた神の律法に従って歩み、わたしたちの主、主の戒めと法と掟をすべて守り、実行することを誓い、確約するものである」。(ネヘミヤ10:30)
捕囚の民は律法の教師であり祭司であるエズラと、信仰と政策のリーダーであるネヘミヤの下で神にモーセから受け継いだ律法を守ることを誓約しました。既に与えられている掟を改めて守ろうと誓うのは、守ってこなかったからです。改めて神の前で自覚し、確認をします。
私たちは通常年間52回の礼拝を守り、牧師は52回説教を語ります。代務を担っている私はその倍語ります。既に語られたこと、守られてきたことを私たちは復習しています。しかし毎回同じことをするからこそ、私たちは「本当に守っているのか、従っているのか」を自らに問わなければなりません。礼拝の度に、主に対して己の忠誠を誓っているのです。この誓いが破られることがあれば、呪いを受けることも覚悟していなければなりません。
厳しいようですが、信仰とは絶対なる存在と虚しく儚い私たちとの命を賭けた契約なのです。だからこそ、「本当に正しいのか」を問い続けて、吟味し、時には反省しなければ、キリスト教会自体の「健康」は保てないのだと思います。筆者は昔、神学の講義の中で教授から言われたことを度々思い出します。
「神学とは、キリスト教の健康を保つためにあるのだ」。
私たちが定期的に健康診断を受けることを勧められているように、キリスト教も、教会も、自身の信仰もまた「健康かどうか」をチェックし、悪い所があるならば改めるべきなのでしょう。